蕎麦道楽人の古道・街道歩き旅の日記です。その道を歩いてみると,当時の歩いた人々の思いが,時代背景と共に,滲み出す霧のように立ち上る気がします。その思いを感じつつ,旅の無事を祈った寺社を訪ね,旅人の心を和ましたであろう美しい風景を愛で,昼なお薄暗い森の中の曲がりくねった道や美しい石畳がびっしりと敷かれた道,さらには道というべきなのか疑わしくなるほどの難所などを歩くのが好きです。
とはいえ,熱心な同好の方々のような「踏破」とか「完歩」というような雰囲気とは程遠く,また,学者顔負けの専門的知識による解説や地図ソフトによる詳細な案内などの力作にも程遠いのですが,なにせ気楽な蕎麦道楽人の歩き旅の日記ですからご容赦いただくとして,行く先々で偶々見つけたおそば屋さん(手打ちに限るなどと贅沢なことは言いません。)についても書ければなあと思いますが,どうなりますやら。蕎麦道楽人の古道・街道歩き(№13)
歩き旅の日記が実際の歩き旅よりもはや日記と呼べないぐらい遅れています。文章中の季節に関わる記述が合わないところもありますがご容赦願います。
龍田古道歩き旅(№6)~竜田越え奈良街道(JR柏原駅から大聖勝軍寺を経てJR東部市場前駅へ) R6.10下旬
《 JR柏原駅~天王寺屋地蔵尊~八尾のお地蔵さん~大聖勝軍寺~平野川遊歩道~樋ノ尻口地蔵~平野東商店街~杭全神社前の石柱道標~大念佛仏寺~JR東部市場前駅(活動時間約4時間20分,総歩行距離約16.5㌔》
今回の歩き旅の起点であるJR西日本関西本線(大和路線)の柏原駅です。駅の西口を出てすぐの細い道へ右折して子安地蔵尊や万願地蔵尊を眺めながら少し歩きますと,すぐに国道25号線と重なる奈良街道に出ますのでもはや古道の雰囲気は全くありませんが横を車がビュンビュン通る道をそのまま歩きます。
JR柏原駅から30分ほど歩きますと,「 稲生神社」があります。八尾市観光協会のデータベースによれば「いなお」神社とふりがなが振られて時代不明とされており,神社の周りにも案内板も由緒書きも見当たらず詳細は不明でしたが,鳥居や本殿はなかなか立派なもので地元では大切にされているのだろうと思われました。
ここで気になったのが地名の「天王寺屋」です。稲生神社や天王寺屋地蔵尊のある前の横断歩道横の信号機にも「天王寺屋」と書かれた標識が上がっていますし,地蔵さんの名前にも「天王寺屋」と入っています。
天王寺といえば,大阪市の南の玄関口ともいうべき「天王寺」はよく知られた地名ですが,ここ八尾市の「天王寺屋」という地名は寡聞にして知りませんでした。
「屋」という字には商家等の屋号のイメージがありますが,付近には案内板等は見当たらず,帰宅してから調べてみたところ,大阪が大坂であったころの豪商「天王寺屋」に由来する地名であることが分かりました。ちなみに,大阪市の天王寺は日本最初の官寺「四天王寺」に由来しているのはよく知られています。
天王寺屋(五兵衛)は,日本初の「手形」を振り出した大坂最初の両替商で江戸時代の経済を支えた豪商であり,元々建築業を営んできた旧家で、四天王寺創建(593年)に貢献したことで聖徳太子から屋号を賜ったとされているとのことで,大阪市の天王寺ともつながっているように思われます。
さて,天王寺屋の地名についてですが,大阪では小学生も習う「大和川の付け替え(1704年)」により,不要になった1千町歩(約992万平方メートル:阪神甲子園球場の約258倍)を超える旧河川敷は、新田開発されることになり、この付近の開墾に尽力した「天王寺屋」にちなんで「天王寺屋新田」と呼ばれていた地域が「天王寺屋」という地名となり,現在、八尾市のJR志紀駅周辺、天王寺屋1丁目から7丁目には、天王寺屋公園、天王寺屋地蔵、天王寺屋会館(公民館)など天王寺屋の名を冠した場所が多くあるとのことでした。
また,今回歩いた道では多くのお地蔵さんに出会うことになりましたが,帰宅後に調べたYomania(ヤオマニア)vol.16(八尾市観光協会発行)という地元情報誌?によれば八尾は「お地蔵さん大国」だそうで,その情報誌に掲載されているお地蔵さんだけでも相当な数でした。お地蔵さんの周囲には案内板などはほとんどありませんので名前も由来も分からないものが多かったのですが,きちんとしたお堂に入っているお地蔵さんが多く,きれいな前掛けや頭巾がかけられていたり,お花が供えられたりしているお地蔵さんが多く,それぞれの地元で大切にされている様子はうかがえました。前掲のパンフ誌やSNS等で調べればそれなりの情報はすぐにも分かるのでしょうが,基本的にはそのお地蔵さんの置かれている様子をゆっくりと眺め拝して歩きましたのでその内のいくつかのお地蔵さん(のお堂)やさらには小さなお社の神社の写真をアップしておきます。
立江地蔵尊から10分ほど歩くと大聖勝軍寺の東側の門が見えてきます。聖徳太子ゆかりの寺とのことで右側の門に太子堂の名が見えます。
大聖勝軍寺の国道25号線(奈良街道)に面した側の門を出て25号線を5分ほど歩くと,大阪人には特に親しまれている味の一つであるポン酢製造メーカーである株式会社旭食品の本社がありました(ちなみに高知県に本社のある土佐山村のゆず関係商品で有名な旭食品株式会社とは別会社です。)。
さらに20分程も歩きましたでしょうか,25号線(奈良街道)と大阪環状線とが交差する亀井東の交差点から車通りを避けて25号線と並行している平野川の遊歩道を歩きます。
平野川遊歩道から平野公園横の樋尻筋に入りますと,かつて環濠集落で自治都市であった平野郷の一三の木戸口のうちの一つである樋尻口脇にあった樋ノ尻口地蔵がありました。
お地蔵さんの前の道をそのまま進み「本通商店街」と頭上看板のかかった商店街に入っていきますと左手に「薬師堂全興寺」がありました。案内板によれば,御本尊は薬師如来で聖徳太子の作と伝わっている他に数々の歴史上の遺物もあるとのことで由緒あるお寺のようでした。
さらに樋尻筋を進み,奈良街道(国道25号線)の方向に細い道を適当に歩いて行きますと,歴史のある古い街だけあって,付近の細い道には残在橋筋,新町筋,大市筋,馬屋小路,猿屋小路等々の色々な名前の「筋」や「小路」がありましたが,杭全神社の前辺りの「泥堂筋」には石柱の道標がありました。
今回の歩き旅の最終経由地である大念仏寺ですが,時間の関係で立ち寄れませんでした。この後,夕闇迫る奈良街道(国道25号線)をJR東部市場前駅前まで歩き同駅から帰途に就きましたが,今回の歩き旅ではスタート時刻が遅かった上,多数のお地蔵さんや小さな神社があるたびに立ち止まってはウロウロしたため,思った以上に時間を要しました。最後の方は速歩状態で回ることになり反省しました。次回はもう少し立ち寄る場所などの数を考えて歩きたいと思います。