sobayanoyutoの蕎麦道楽日記

大好きな蕎麦で遊んでいます

晴歩雨蕎(№1)~日本三大山城 高取城址

 蕎麦道楽人のトレッキング(ハイキング)日記です。
 「晴歩雨蕎」は小生の造語で「せいほうきょう」と読むことにしています。「晴耕雨読」を意識した造語です。意味は文字どおり,晴れた日には歩きに行こう,雨の日には家で蕎麦を打ったり食べたりしようというぐらいの意味です。

 なお,蕎麦道楽人ですから,行先でたまたま見つけたおそば屋さん(手打ちに限るなどと贅沢なことは言いません。)についてでも書ければなあと思いますが、蕎麦関連のお土産や,はては麺類繋がりでうどんかラーメンのお話になってしまうかもしれませんし,どうしても見つからない又は食べられない場合は,帰宅してから雨の日にでもそばを打ってご容赦を願うこととしたいと思います。

№1 日本三大山城 高取城址(奈良県高市郡高取町)
 《壺阪山駅土佐街道~上子島砂防公園~黒門跡~七曲がり~一升坂~猿石~国見櫓~大手門跡~二ノ丸跡~本丸跡~天守跡》

4月初旬の朝8時ころの壺阪山駅です

 近畿日本鉄道(近鉄)の大阪阿部野橋駅から特急で約50分,近鉄吉野線「壺阪山」駅で下車し、同駅から徒歩約2時間で高取城址に到ります。城址というぐらいですから石垣・石塁の類しか残っておりませんが。

 高取城は日本三大山城(他は岡山の備中松山城、岐阜の美濃岩村城)の一つとのことですが,「比高」(ふもとから本丸までの高さのこと)の高い(390m)お城として有名で,日本100名城にも選ばれているとのことでした。詳しくお知りになりたい方はネットで「高取町観光ガイド(高取町観光協会)」を検索してみてください。

奥に「観光くすり町」と見えます

 壺阪駅を出て「観光くすり町」と書かれた古色蒼然たるアーチ門を抜けて5分ほど歩くと,かつて高取藩2万5千石の城下町として栄えた高取町のメインストリートである土佐街道(何故奈良で「土佐」なのか?街道の名前の由来については上記高取町観光ガイドを参照してください。)に突き当たります。緩やかに登りながら軒先の低い古い家並みが続き,両脇に水路が流れる道の石畳には「くすりの町」にふさわしく所々に薬草タイルとでもいうのでしょうか,薬草の描かれた石板がはめ込まれています。

左から「ドクダミ」,「キキョウ」,「タンポポ」がそれぞれの薬効と共に描かれています。

 訪れたのは4月初旬だったのですが,高取町では,3月1日~31日までの期間に,「町家の雛巡り」なる行事が開催され,各家々のお雛さんを見ながら家々を訪ねる初春の行事が終わったところということでした。この行事は2007年から開催されてきたとのことですが今年度で終わりと伺いました。

 土佐街道を「くすり資料館」や「なまこ壁」のきれいな武家屋敷「植村家長屋門(奈良県重文)」などを眺めながら40分ほど歩きますと高取城址の登り口へと続きますが,その手前に「上子島砂防公園(トイレあり)」があります。結構規模の大きい公園で人がほとんど見当たらなかったのですが桜並木がもうすぐ満開という風情で見事に咲いていました。

「上子島砂防公園」の桜です。公園の規模は大きく公園全体で咲いていました。
写真は4月の初めですからとっくに過ぎましたが来年の参考にでもなれば。                 

 いよいよ,高取城址の登り口です。「いよいよ山登りのはじまりです」と分かりやすく書かれています。

 ここから,「黒門跡」,「七曲がり」,「一升坂(築城時の石材などの運搬の際に急坂のため米一升を加給して激励したという言い伝えからとのこと)」,「猿石」,「国見櫓」,「大手門跡」,「二ノ丸跡」,「本丸跡」などを通って「天守跡」に到りますが,蕎麦道楽人のトレッキング日記ですから,詳細は割愛させていただき,印象に残った所を写真で振り返りたいと思います。

まず「猿石」です。

「猿石」です 猿というよりも宇宙人のアルカイックという感じです 陽物感もあります。築城の際に近くの明日香村から石材として掘り出されたものではないかとのことでした。

やや登りがきつくなってきたなと思っていたら「国見櫓」からの絶景です。風が気持ちよく吹きわたっていました。

「国見櫓」からの大和平野を見渡す絶景です。当日は春霞でしたが,天候により,奈良
方面から大和三山,葛城・金剛山大阪市内,比叡山までが見渡せるとのことでした。   

「大手門跡」から「二ノ丸跡」付近

「本丸跡」から「天守跡」付近

 本丸址まであと一息の付近まで登ってきた人々の心和ます一本彫りというのでしょうか彫刻がありました

 

背中に哀愁を感じます

天守跡」からの絶景です。なお,高取山の標高は583.9mです。

 12時半過ぎに「本丸跡」で昼食にしました。春霞が若干かかっていたものの気持ちよく晴れ渡った青空の下,春の陽光と微風に包まれながら,コンビニで購入したカツサンドを美味しく頂き,水分も補給して13時過ぎに下山の途につきました。

 帰途は登りとは別の道を下ります。「五百羅漢」から「八幡神社」,「壺阪寺」を経由して土佐街道に降りて行く道です。

八幡神社」です

 高取城跡から壺阪寺方面へ20分ほど歩きますと、多数の羅漢を彫り込んだ岩があらわれます。そこからしばらくは、十一面観音や大黒天,多種多数の羅漢が彫られた岩群が続きます。摩崖仏というのでしょうか,もとより一体ずつ姿や表情は異なり、岩の姿も様々で,こちらが歩くにつれて光の当たり具合による変化もあり,見飽きることなく眺めていられると共に素朴な神々しさに包まれます。「香高山五百羅漢」と呼ばれているそうです。足元はそれほど楽な場所ではなく足元に気を付けつつ進みますがこんなところによくぞ彫ったものだなあと思わずにはおられません。

 さらにしばらく進みますと「壺阪寺」の横を通過しますが,満開直前の桜に包まれた巨大な大仏様のお姿を拝むことができました。

桜の壺阪寺です 桜のシーズンはとっくに過ぎてしまいましたが

 その後土佐街道に合流し,壺阪山駅に向かいましたが,その途中で,昨日ころまで行われていた「町家の雛巡り」の一環として土佐街道沿いの街の駅「城跡(キセキ)」横の施設で「天段の雛」なる雛飾りが展示されていたものが片付け中とのことで垣間見ることができました。想像をはるかに超える見事さでこれが今年度で終わるらしいとのことで勿体ないなあと思わずにはいられませんでした。

 

 

くすりの町にふさわしい感じのパッケージです

 駅までの途中の観光案内所 夢創館で漢方の雰囲気のあるのど飴とせんべいを購入して帰途につきました。

 さて,今回の歩き旅の蕎麦関連ですが,土佐街道高取城址に向かって行った終わりの方に1軒「麓香庵」というおそば屋さんがありました。当日は定休日の札が懸かっていましたが,営業日であったとしても,高取城址に上った後では営業時間内にお店に伺うのは無理なので,日程を調整しておそば屋さんメインで伺って,別途,「おそば屋さん食べ歩き」のカテゴリーで紹介できればと思っています。