sobayanoyutoの蕎麦道楽日記

大好きな蕎麦で遊んでいます

晴歩雨蕎(№2)~八鬼山越え(熊野古道伊勢路)

 蕎麦道楽人のトレッキング(ハイキング)日記です。
 「晴歩雨蕎」は小生の造語で「せいほうきょう」と読むことにしています。「晴耕雨読」を意識した造語です。意味は文字どおり,晴れた日には歩きに行こう,雨の日には家で蕎麦を打ったり食べたりしようというぐらいの意味です。

  なお,蕎麦道楽人ですから,行先でたまたま見つけたおそば屋さん(手打ちに限るなどと贅沢なことは言いません。)についてでも書ければなあと思いますが、蕎麦関連のお土産や,はては麺類繋がりでうどんかラーメンのお話になってしまうかもしれませんし,どうしても見つからない又は食べられない場合は,帰宅してから雨の日にでもそばを打ってご容赦を願うこととしたいと思います。

№2 八鬼山越え・熊野古道伊勢路(やきやまごえ 三重県尾鷲市)
 《八鬼山登山口/尾鷲市内側~ゴットン石~籠立場~七曲り~荒神堂~八鬼山山頂(647m)~さくらの森広場~籠立場~八鬼山登山口/三木町側》

八鬼山 / ユーザーbensanさんの八鬼山の活動データ | YAMAP / ヤマップ

道路の側溝の蓋に描かれた案内です 熊野古道参詣道であると分かります

 今回の歩き旅の起点にしていたJR尾鷲駅の写真データを消してしまったようで見当たりませんので,駅近くの排水溝の蓋に描かれた世界遺産熊野古道参詣道の中でも有名な「馬越峠(まごせとうげ)」と「八鬼山」の案内を起点として掲示しました。また,地図データについては休憩時にアプリを一時手停止させて再開するのを当分忘れていましたので不完全なものです。悪しからず。
 

 「伊勢へ七度,熊野へ三度」と言われるように,伊勢神宮熊野三山を結ぶ信仰と生活に欠かせない路であった熊野古道伊勢路は,中辺路などとは異なり庶民の路と言われています。中辺路などが都の皇族・貴族方が熊野三山に向かう路であったのに比して,伊勢路伊勢神宮参宮を終えたあるいは熊野から伊勢に向かう庶民が歩いた路とされています。


 JR尾鷲駅から八鬼山登り口(尾鷲市側)までは贅沢にも車で移動させてもらいました。

登り口から入ってすぐ熊注意の看板がありました

 登り口から少し歩きますと「行き倒れ巡礼供養碑」が道路脇にひっそりと建っています。当時,八鬼山越えは伊勢路における第一の難所とされ,はるか遠路から伊勢を経てきた旅人がその厳しさから行き倒れて亡くなる旅人もいたとのことで村人たちによってその供養ための石碑が建てられたとのことでした。

苔むした石畳の道が続きます 急坂もところどころに

 登り口から入ると程なく石畳の道になりますが,石畳は苔むしており,結構な傾斜の道もあって,雨の日などには滑りやすいだろうなと思われました。

写真が不鮮明ですが「行き倒れ巡礼供養碑」です 八鬼山には4基あるとのこと

町石(丁石) です 伊勢神宮御師が立てたものとのこと

同じく「町石」です

なぜかまとめて置かれている町石(地蔵尊)も

 道脇には町石(丁石)として地蔵尊が置かれており,山頂までの50町に1町(約109m)ごとに地蔵菩薩立像が彫られた町石が置かれています。現在は35基程度が残っているとのことでしたが,どういうわけか途中に町石らしきものが2,3基まとめておかれているところもありました。いずれにしても,旅人の安全を守護していただいているようで手を合わせずにはおられませんでした。 

難所「七曲り」を示す案内板 

 ここからしばらくは石畳のつづら折りの急坂が続きます。七曲りを超えて八鬼山の山頂を目指していると、かつては西国三十三所第一番札所の前札所として多くの人が参った荒神堂があり,朽ち果てていたお堂を,近年,尾鷲市内の市民有志によって再建されたものとのことでした。荒神堂の横の茶屋屋跡にはバイオトイレの建物がありました。木造でその場の風景に溶け込むように建てられていましたが,聞くところによりますと,地元の方がJRか何かの企画で200万円を基に建てられたとのことでしたが,そのトイレを利用した同行の方に聞いたところきれいなトイレとのことでした。

 荒神堂から程なく八鬼山の頂上(標高647m)です。

八鬼山頂上付近です

 頂上付近には休憩して弁当を食べれそうな場所はあまりありませんし眺望もききませんので,少し歩いて「さくらの森広場」へ行き昼食にしました。広場からは,天候が良ければ志摩半島から那智山までを望むことができるとのことで,当日は少し春霞がかかっていたものの絶景が広がっていました。

 練習中のウグイスの声を聞きながら,春の風に吹かれて昼食を済ませ,予想以上の石畳の急坂に疲れ気味の膝を励ましつつ帰途につきました。下り基調ではありますが石畳道も多く2時間ほどかかって八鬼山登山口/三木町側に出ました。最終的にはそこから「三木里ビーチ」まで出て,贅沢にも迎えの車に拾ってもらいJR尾鷲駅まで戻りました。今回は尾鷲観光協会にもお世話になりましたが,ゴール地点の三木里ビーチでは美味しいお茶や地元の甘味の御接待を受け,ガイド役(地元の元校長先生)の楽しいお話を伺い,さらには,尾鷲節を一節謡って下さり,それに合わせて協会職員の方が踊りを披露して下さるなど心づくしのお接待を受け,峠越えの疲れも吹き飛びました。明日は,熊野古道伊勢路の尾鷲におけるもう一つの有名なスポットである「馬越峠」を通り天狗倉山を歩きます。

「三木里ビーチ」 山と海の距離が近い尾鷲ならでは

 今回の歩き旅の蕎麦関連ですが,尾鷲市内中心部を始め周辺部でもおそば屋さんには出会いませんでした。地元の方にも聞きましたが,歩いて行ける範囲ではおそば屋さんはないし,蕎麦関連の名物やお土産みたいなものも知らないとのことでしたのでやむを得ず諦めて帰宅後そばを打つこととしました。もっとも,尾鷲は海鮮の宝庫で,晩御飯に「魚処 豆狸(まめだ)」で「海鮮ユッケ丼」を始め新鮮な魚などを頂きましたがこれが絶品で舌を打ちました(豆だけに)。

 帰宅後打ったそばは,カテゴリー「蕎麦道楽日記」の「蕎麦道楽日記(№6)~よもぎそばを打ちました」をご覧願います。